The Fire Ritual at Yoshida Shrine
- notajournaljapan
- 4月20日
- 読了時間: 3分
「吉田神社の火祭り」
2月初めの京都は、まだ寒さが残っている。
そんな時期に、京都・左京区にある吉田神社では、毎年とても大きな「節分祭」が行われる。境内には人が集まり、屋台が並び、夜になると大きな火が焚かれる。夜遅くまで開かれているそのお祭りでは提灯が連なり、全体がとても神秘的な雰囲気に包まれる。

吉田神社は、「他の神社とは少し違う」と言われることが多い。 それは、この神社が、いま一般的にイメージされている神道とは、少し違う背景を持っているからかもしれない。近代以降につくられた、国家と結びついた神道の仕組みとは異なり、吉田神社に関わる吉田神道は、もっと古く、神道そのものをどう理解するかを理論的に考えようとした思想だった。ここでは神々は、親しみやすいキャラクターというより、宇宙や秩序の成り立ちを説明する存在として整理されている。「神道とは何なのか?」という問いに、かなり本気で向き合ってきた痕跡がある。
少し難しく聞こえるかもしれないが、普段の吉田神社は、ごく普通の神社でもある。厄除けや開運、学問、良縁や夫婦和合など、一般的なお願いごとで参拝する人も多い。
そんな吉田神社で、毎年2月初めに行われるのが節分祭だ。 日本人の私としては、「2月といえば節分」と、深く考えずにこの言葉を使ってきたが、文字通り見ると「節を分ける」と書く。何かを切り離すための行事、儀式なのだろう。 2月は、旧暦では新年の始まりにあたる月でもある。古いもの、きっと邪気のようなものを手放し、新しい季節を迎える。そのための区切りなのかもしれない。
私が今回訪れたのは、節分祭の中でも「火炉祭」と呼ばれる行事だった。
日本の神社では、お札やお守りを授かる習慣がある。神社ごとに祀られている神様は異なり、学問、良縁、健康など、それぞれ得意分野があると考えられている。そのご加護を願って人々はお札やお守りを持ち帰る。 そして一年が経つと、それらをただ捨てるのではなく、「ありがとうございました」という気持ちとともに神社に返し、焚き上げる。吉田神社の火炉祭は、そのための儀式だ。

目の前で燃え上がる火は想像以上に迫力があり、火がつくたびに周囲の観衆がざわめく。冬の寒空の下で見る大きな火は、ただ眺めているだけなのに、何かが静かに落ちていくような感覚を与えてくれる。
火を使って浄化する、という考え方は直感的にも理解しやすい。西洋にも火による浄化の儀式や祭りは多く残っていて、どこか魔女の儀式のようにも感じられる。
大きな火を見ながら、火以外に「浄化できるもの」は何だろう、と考えていた。
四大要素で考えると、次は水だろう。水で洗い流す、という行為は、それ自体が儀式になりやすい。では風や土はどうだろう、と考えると、途端にうまく想像ができなくなる。 火と水は対照的だけれど、どちらも同じくらい強い力を持っているように思える。
日本語には少し不思議な言葉遊びがあって、火は「か」、水は「み」とも読める。これは日本語の音の話なのだが、この二つを合わせると「かみ」、つまり「神」になる。
すべてを洗い流してしまう力、あるいは燃やし尽くしてしまう力。その圧倒的な強さを、昔の人は「神」と呼んだのかもしれない。

節分祭の期間中、吉田神社の境内にはたくさんの屋台が並び、それもこの祭りの楽しみのひとつになっている。昼には「鬼やらい」という、鬼を豆で追い払う節分の中心的な儀式も行われる。
この時期に日本を旅している人は、なぜ街のあちこちに鬼の姿があるのだろう、と不思議に思うかもしれない。
もし2月ごろに京都を訪れる予定があるなら、季節の変わり目を体感できるこの吉田神社の節分祭は、ここでしか味わえない体験になると思う。
Written by Nori (NOTA)
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