Borrowed Scenery, Borrowed Time:Eating Shojin Ryori in Arashiyama, Kyoto
- notajournaljapan
- 4月20日
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「借景の中で過ごすひとときー嵐山で味わった精進料理」
私は京都生まれで、高校を卒業するまでは京都で育った。その後、長い間ロンドンで生活していたが、コロナ以降、京都に度々、しかも長期で滞在することが多くなった。
京都は日本の中でも観光地として特に有名で、歴史的な場所も多く、訪れるべきスポットは数えきれないほどある。けれど子供の頃は「地元だから」という理由で、あえてそうした場所に行かないことも多かった。今回はそんな、これまで通り過ぎてきた場所のひとつ、嵐山にある天龍寺を訪れることにした。目的は、庭園内で精進料理を出している「篩月(しげつ)」。イギリスから遊びに来ている友人と一緒だ。
天龍寺は京都市内の西側、嵐山というエリアにある。嵐山はもともと平安時代から貴族たちに愛された場所で、自然に囲まれた土地だった。現在はすっかり観光地化されているが、それでも京都市内とはどこか違う。
昔、アメリカのディズニーランドは、外界からの情報を遮断し「夢の国」に没入させるために、盛り土や動線設計によって周囲の世界を視界から消す構造を採用した、という話を聞いたことがある。嵐山では、その役割を周囲の山々が自然に担っているように感じられる。山に囲まれ、視界が閉じられているこの立地は、京都にいるはずなのに、少し遠くへ来たような感覚を与えてくれる。
電気もなく、今のような娯楽もない時代、この場所では、自然を眺め、歌を詠むことが日常だったそうだ。嵐山からほど近い桂川流域は、のちの時代には桂離宮が営まれるなど、月を愛でる文化とも深く結びついていく。想像してみると、その時間は決して退屈ではなく、むしろとても濃密なものだったのかもしれない。
嵐電という小さな路面電車に乗り、嵐山駅へ向かう。かつてはもっと多くの路面電車が京都市内を走っていたらしいが、現在、嵐電は京都に残る唯一の路面電車だ。一両編成のことが多い電車が街の中を走り、京都の中心部から30分ほどで嵐山に着いてしまう。この事実を、かつてこの地で自然を眺め、和歌を詠んでいた平安貴族たちが知ったら、「早すぎて情緒さえ失われてしまいそうだ!」と驚きそうだ。想像してみれば、牛車に乗ってゆっくりと向かうその道のり自体が、彼らの和歌の養分だったのだろうと思う。
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
源宗于朝臣
こんな詩を思い出した。
嵐山駅を降り、天龍寺の入り口へ向かう途中、冬の寒さで枯れてしまった蓮の花をいくつも見かけた。水面に向かって垂れ下がるその姿は、どこかお化けのようでもあり、静かな冬の嵐山の気配と重なって見えた。

天龍寺は、臨済宗の高僧・夢窓疎石(むそうそせき)によって1339年に開かれた寺で、建立を命じたのは室町幕府初代将軍の足利尊氏だ。 この寺には、同年に崩御した後醍醐天皇の菩提を弔うという、重要な役割がある。後醍醐天皇は、尊氏との対立の末に失脚し、失意のうちに亡くなった人物である。
この時代の日本を見ていると、宗教と政治がいかに密接に結びついていたかがよく分かる。天龍寺は、京都の禅寺のなかで「五山」と呼ばれる格式の中でも第一位に位置づけられた寺だが、それもまた、後醍醐天皇の怨霊を恐れた尊氏が、その菩提を弔うという強い政治的意味を持っていたからだ。祟りを恐れる、という感覚はとても日本的だと感じる。
夢窓疎石は優れた禅僧であると同時に、卓越した庭園の作り手としても知られており、天龍寺の庭には彼の思想や世界観が色濃く反映されている。たとえば、庭の背後に広がる嵐山の山並みをそのまま景色として取り込む「借景」の手法は、庭と自然、内と外の境界を曖昧にし、人の手で完結しない世界観をつくり出している。

天龍寺には、本堂へ向かう入口と、庭園へ向かう入口が分かれている。私たちは精進料理を目的に訪れたので、庭園の入口で入場料を払い、中へと入った。
中に入ると、とても美しい庭が現れる。一緒に行った友人は「庭が見たい」と言って、庭の方へ向かおうとするが、予約していた時間を少し過ぎてしまっていたため、私は彼を引っ張るようにして建物の中へ向かった。
畳敷きの大広間に通されると、左右に向かい合うように小さなテーブルが並んでいる。一人ひとりに用意されたその小さなテーブルに、正座をして座る。私たちは「ゆき」というコースを予約していたので、席に着くとほどなく料理が運ばれてきた。
冬の時期ということもあり、豆乳鍋がついている。これがとてもシンプルで、驚くほど美味しかった。他の小皿の料理も、素材ごとに丁寧な下処理と調理がされていて、一口一口がしっかりと記憶に残る。ヴィーガン料理だが、飽きることはない。

ただ正直なところ、お坊さんが日常的に食べるには、かなり豪華な食事だとも思った。とはいえ、ここは観光客向けでもあるので、そのあたりは納得できる。器は朱色が基調で、全体に華やかな印象だった。以前ほかの精進料理店に行ったときも、赤い器が使われていた気がする。
精進料理と赤い器、その理由が少し気になったので調べてみた。 精進料理は、肉や魚を使わず、素材の色も控えめなため、どうしても「色が弱く」なりやすい。そこで器の色によって視覚的な豊かさを補う、という役割があるのだという。
それと同時に、精進料理で使われる器は、ほぼ例外なく漆器だ。禅寺では食事そのものが修行の一環とされ、「五観の偈(ごかんのげ)」という考え方で食と向き合う。
食材の来歴を思うこと。
自分の徳を省みること。
心を正すこと。
食を薬としていただくこと。
そして、修行のために食べること。
漆器は、木という自然素材に、樹液である漆を塗り重ねて作られる。使い込むほどに艶を増していくその性質は、「命で命を受け取る」という思想そのものが、器に組み込まれているようにも思える。赤い精進料理の器は、装飾というよりも、そうした考え方を静かに支える存在なのかもしれない。
3800円の一汁五菜「ゆき」コースで、すっかりお腹いっぱいになった。この日は冬で寒かったが、日差しがあり、とても気持ちがいい。外に出て、夢窓疎石が作った池を眺める。見事な借景で、庭と背後の山との境界線がほとんど感じられない。

庭を楽しみながら歩いていくと、立派な竹林が見えてきた。一緒にいた友人の直感が「あそこに行きたい」と言っている。好都合なことに、この庭は入ってきた場所が出口になっているわけではなく、裏手にも出口があり、そこは嵐山の有名な竹林の入り口でもあった。再入場はできないが、庭を後にし、竹林へ向かうことにした。
竹林では、風が吹くたびに太く立派な竹が揺れ、ギコッ、ギコッという音が響く。その音がとても面白い。竹林は思っていたより短かったが、イギリスからの友人は「こんな場所初めてだ」と喜んでいた。海外からの視点では珍しいものに見えるみたいだ。
竹林を抜けると、嵐山の桂川沿いに出る。そこでは長い船が何隻も、観光客を乗せてゆっくりと川を行き来していた。山を背景にしたその光景は、なんともピースフルだ。自分自身もまた、借景の一部になったような気分で、その風景を眺める。

私たちは次の予定があったため、急いでバスに乗り込み嵐山を後にした。観光客で賑わってはいるものの、嵐山独特の時間の流れは、きっと今もここに静かに流れ続けている。そう感じながら。
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Written by Nori (NOTA)



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